月別アーカイブ: 5月 2010

体重計とネットワークと計測美

「レコーディングダイエット」と試してガッテンの「計るだけダイエット」のどちらが先だったのか?についてはともかく、今現在、ダイエットは計るという分析学的な見地によって進められる研究分野になっている。 もっとも、体重計で一番行いたいことは、”計測したデータをいかに分析しやすいデジタルデータに変換できるか”だ。デジタルデータに変換さえできれば、もとより体重など、どうでもいい。 国内メーカーはUSBメモリに保存してPCに挿入したり、SDカードに保存してカードリーダーで読み込むものだったり、ひと手間かかる。そのような甘い考えでは、計るだけ計って分析の醍醐味を味わう前に飽きることは明白である。 その壁を打ち破るべく、WiFi Body Scaleという野心的な製品が登場した。測定したデータを802.11(無線LAN)で送信し、あまつさえtwitterで晒し上げにするという、日本人のM属性に直撃ヒットする製品である。グラフも美しく作られるようで、分析美をiPhoneからも確認できる機能美も持ち合わせている。 しかし悲しいかな100g単位というものに、一抹の悲しさを感じるというのか、50g単位じゃないのかという落胆もあったり、18k円なんて払えねーとの庶民感覚が購入を阻害するものである。 そこで、通信の不思議を考えたところ、音声通信、もしくは可視光通信で、体重計から数値を抜き取れればいいんじゃないのか、とのアイディアが思いつく。デジタルの体重計は音声で伝えるという点については考えづらいので、やはり、可視光を考えねばなるまい。 そう、PCに接続したWebカメラ(もしくは静止画を撮影可能な何か)なデバイスを接続して、体重計の表示部を接写し、その数値部分をCaptcha解析(フリーメールの登録などに使われるふにゃふにゃな単語列)でならしたエンジンを用いることで、どうにかなるんではないのか、と考えた。 そうすることで、既存の50g単位の体重計でも簡単にデジタルデータを取り込むことができる、できるので安くなる、などの効果を期待できるが、体重計設置箇所にPCを置くという罪悪感にさいなまれる。というより、むしろPC設置場所になぜか”体重計とWebカメラの合体した何か”が存在し続けるという罪を背負い続けるになる。想像したとたんに、こんなもの作るよりもWiFi Body Scale買ったほうがいいんじゃね、という思いに駆られたのである。 # 追記 ちょっとまじめに考えてみると、SDカード型WiFiメモリであるeye-fiを活用することで、体重計をデジカメで撮影、無線LAN経由で画像フォルダへ、それを画像解析でデジタルデータ化、という流れが最も美しいのかもしれない、と感じた。

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言われて実行するとはどういうことか

「人の話すことを素直に聞き、実行する子は伸びる」という話を聞いた。「素直に聞かず、自分流の何かを付け加えようとする。そして、変なクセがついてしまう」。 自己評価では変なクセをつけてしまうタイプだと思っている。よって変なクセをつけてしまう性格だからこそ、”人の話すことを素直に聞く”ということはどういうことなのかが見えてくる。言われたことを素直に実行する行為とは、どのようなものなのか。考えていこう。 これには3つの場合があると考えた。発言者が信頼されているケース、発言者が強権を持つケース、そして言われたことを理解しているケースだ。ここでは話をする「発言者」と話を聞く「実行者」という言葉で語る。 発言者が信頼されているケース 発言者が実行者から信頼されている場合、盲目に作業を行う。発言者には過去の経験や実績、もしくは神秘的なパワーやカリスマが宿っているのかもしれない。実行者は発言者の発言を集中して聞く。理解できなくても実行する。ある意味、熱血コーチと競技者のそれ(はじめの一歩)に近いかもしれないし、宗教組織のそれに近いかもしれない。 発言者が強権を持つケース 上意下達の現場では、上位者は絶対だ。逆らうものなら、飛ばされる。弾き出される。強制されるし、矯正される。親のしつけとは(場合によっては)そのようなもので、仲良しチームのボスというのも、そのようなものだ。通常、それほど強い権限を行使されることはないと願いたい。しかし相手、もしくは自身の組織に絶対に良いことだと信じるのならば、強権の発動はあるのかもしれない。 言われたことを理解しているケース 本来的に望ましいのはこれだ。発言者はどのように相手に得なのかを説き、実行者は理解の上で行動する。ほどんどの場合、穏便な解決を図る。 しかし、必要な要件のハードルが高い。”発言者が実行者に理解できる言葉を発すること”、もしくは”実行者が発言者の意を汲むこと”が必要になる。実際に、発言者の言っている意味・意義が分からずに作業を投げたことを経験したり、見たりしたことがあるのではなかろうか。 素直に聞いて実行したりなんかしない なぜ、素直に聞いて実行しないのか。その理由はこれまでに述べた通り、発言者は”信頼されておらず”、”強権を持たず”、そして発言者の”言っていることの意味が分からない”からだ。意味がわかったとしても、人間はそれほど素直じゃない。 素直に聞かないケースに対して発言者は不満に思う。信頼されていないことに傷つく。強権を持っていないと思われることに苛立ち、強権を発動して締めようとする。そして言葉が伝わらないことにジェネレーションギャップを感じたと呟く。そうした現場を見たことはないだろうか。 その責任は誰にあるのか。言っていることが変わって、何を言いたいのか分からない軸のないタイプは信頼されない。失敗を繰り返す人、成果を出せない人は信頼されない。最後には強権を振りかざして失敗する人は信頼されない。相手を考慮した発言ではなければ、理解はされない。相手にいかに得であるか伝わらなければ、意欲は湧かない。発言者に責任があることもある。 同時に実行者の側にも真剣さがないようにも見える。発言者を信頼しようとする努力もせず、発言者の強権がどのような構造の上に成り立っているのかも見ず、そして発言者の意図を汲み取ろうとする読解力も不足し、集中力も欠いている。素直に実行することができない天邪鬼という段階ではなく、もはや聞いて理解することができない段階なのかもしれない。 よしんば聞くことに成功したとして、素直に実行するという行為は、耐え難い性格もある。相手と自分の上下関係を気にしているケース、頭の良さのランキングに固執しているケース、いたずらっ子ケース、言われたことを忘れてしま(ったことにして別のことをしてしま)うケース…。これらの壁を超えるためには、深い理解か、もしくは強権・信頼のどちらかのサポートが必要であろう。 結論 こうして考えていくと、”素直に言われたことを実行する”ということは、理解・信頼・強権のどれかが程よく組み合わさった状態なのだなぁ、という結論に至った。 結局は理解しても大半は実行しないよなぁ、と思う今日この頃である。(それとも、実行されない程度の「理解」は、理解が足りていない、と定義付けした方が分かりやすいのか)

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口蹄疫とトレーサビリティ

ナノタグ、無線タグなどの話を聞ける環境ではなくなってしまったので、ここらへんの技術動向が現在どうなっているのか分からないのだが、久しぶりにその名前を聞いた。 口蹄疫の影響によって輸出停止の措置が行われていた牛肉の、香港への再開について、トレーサビリティが評価を受けていたようだ。 口蹄疫対策に関する霞ヶ関の「中の人」のつぶやきまとめ : 香港と牛肉輸出交渉をした時に最も評価されたのは牛肉トレサでした。 : ウシの個体識別を含めたトレーサビリティだったようで、ああ、それだったら農場の判別もできるので、安心できるよなぁ、と。こういう技術のおかげで本来売れるはずのものが売れないという事態を防げるのは良き事だなぁと。 ふと、トレーサビリティに思いをはせた。 # ちなみに政府or官僚が情報を隠匿している…というデマ(噂)は何処から刷り込まれてきているのだろう…とも、考えねばなるまい。

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