月別アーカイブ: 11月 2009

あったあった大辞典 Google編

過去の記憶を整理していると、数年前、Googleの行動が特に目立っていたことに気づいた。数年たった今、それを反芻することは個人的に重要なことだと考え、その感想を記す。 Google デスクトップ検索 かつて、GoogleはWeb専業の状態であることからの脱却を図りたいゆえか、エンタープライズ用途の検索エンジンの提供、また個人向けのファイルシステムの検索エンジンの提供を行うと発表した。その個人向けのエンジンがデスクトップ検索である。その相乗効果でWeb検索もGoogleを利用することになるという期待もあっただろうか。 その頃にデスクトップ検索に対して持ったイメージは次のとおりだ。 …Google検索はWebページを機械的に分類することによって、キーワードで検索することを可能にしている。これを自身のデスクトップに当てはめてみれば、ファイルに名前をつけることも、ファイルを詳細にディレクトリ(フォルダ)分類しなくても、簡単にキーワードのみで検索できるような状態になる。つまり、ファイルを作り保存するだけで、そのファイルをいつ作成したかのリストと、検索しやすい形が整っている状況になる。 しかし、現状においてGoogleデスクトップを便利だからと使っている利用者をあまり見ていない。この理由を考えると、インデックス作成の処理にCPUが割り当てられる点、またWindowsが標準でインデックスサービスを持っていることが挙げられる。 デスクトップガジェット ブログパーツが流行りだした頃、これをデスクトップに貼り付けたらどうだろう、ということでガジェットという言葉が生まれ、MSデスクトップガジェット、およびGoogle デスクトップ ガジェットが開発され、それぞれ話題になった。 その頃にガジェットに対して持ったイメージは次のとおりだ。 …アクティブデスクトップの焼き直しじゃねぇか…あれだけ批判しておいて次はガジェットかよ!は、ともかく、デスクトップ上に常に情報を表示したいというニーズはあるだろうし、これからは24型やそれ以上のディスプレイが普及帯になってくるだろう。そうしたとき、既存のWebページやアプリケーションは16:9を使い切れない。そのため、常に表示したい情報が出てくるガジェットというものはそれなりに流行るのではなかろうか。特にキャラクターものは流行る… 誰ですか、「時計」と「CPUの消費量」と「天気」しか表示していない方は? iGoogle ポータルサイトとしての危機感を持ったGoogleは、新しい入り口を利用者自身に作らせるという手法をとる。それがiGoogleであった。このiGoogleに対しても開発者の協力を仰ぎ、カスタマイズ可能である点を売りにした。 その頃にiGoogleに対して持ったイメージは次のとおりだ。 …革命的だ。シンプルしか信じないGoogleがついにシンプルじゃないポータルを考え出した。このトップで既存のGoogleトップページを置き換えるに違いない。また足りないガジェットについては開発者を募ることで、多様性に富むトップページとなり、誰に対しても適合する素晴らしいトップになることだろう。 結果として、面白いガジェットが存在しないiGoogleのトップは、RSSリーダーの亜種として利用するようになり、そのうちGoogle RSSリーダーだけで十分じゃないかという結論に至り、利用しなくなる。ガジェットを含むトップのせいか、妙に重いのが癪に障る。Googleのトップがシンプルなのは、トップページが表示されるまでのタイムラグを気にする人が非常に多いことが解析の結果、分かっているからなのかもしれない(そうではない人はYahooを表示させるのだし)。 成功したもの 個人的にGoogleのサービスの中でも使いやすいと思っているものは、良く使っている頻度順には Reader, News, Blog, Gmail, Map, Image, Apps, App Engine, Books, Earth… だ。 Docsとか表計算、プレゼンは使っていない。 特に特定の情報(例えばレビュー、書評)を集める際にBlog検索が効率が良く、初期にはテクノラティジャパン(既にサービス終了)のブログ検索を利用していたが今ではGoogleブログ検索を愛用している。 ということで、Google様のふしぎサービスも色々あったが、当時、考えていたよりは、世界は変わらなかったなぁーとしみじみ思った。

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Chrome OSを起動してみた

スクリーンショットについては、他のブログ等で紹介されていると思うので、それ以外について。 基本的に、Linux上でChromeというただ1つのブラウザが起動する、というコンセプトそのまんま。 個人的に今年の4月頃にKNOPPIXのブラウザのみが起動するモードを作ったのだけれども、まさに、それ。よ〜く見覚えがある、それ。ブラウザを終了しても、またブラウザが起動してくる、それ。Knoppixの時にはFlashも入れさせられたのだが、Chrome OSにも入っている。もう、あれじゃね、ChromeOSでいいんじゃね、みたいな哀愁が漂う。IME(漢字変換)さえ出来れば。 実際に起動は数秒で、鬼早い。ログイン画面が表示されるまでの時間。で、Chromeが鬼早い。Windows上のChromeと比べても早くなっている気がする。気のせいだろうか。Youtubeもサクサク見られる。全画面もOK。つまり、ブラウザのみの用途で、IMEも完備されるのであれば、多くの場合はChromeOSでいいんじゃね、と思えるくらい。良い。オイラが作ったKNOPPIXは起動に1分かかるし。 少し気になるのが、ChromeOSな時代になると、周辺機器との接続がどのような形になるのか、についてだ。既存のデバイスドライバ型の接続から、何かしら新しいブレイクスルーが必要になるのかもしれない。 ChromeOS上でアプリケーションを用いてデバイスを操作するのであれば、ChromeOSらしくない、気がする。実際のところはChromeOS自体のプログラムを即時更新してセキュリティサンドボックスで保護される云々かんぬんの話があって、アプリケーションを増やすことについては考えてあるのだろうけれども、面白くない。 ともあれ、面白い経験が出来た。よかった。

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ChromeOSのビルドはdebootstrap環境下で

そんなこんなでChromeOSのビルドがさくっとできたら、やってしまおうとやり始めた。環境はUbuntu 9.04。 http://build.chromium.org/buildbot/archives/chromiumos-0.4.22.8.tar.gz をダウンロードして、展開、中のスクリプトを実行してみると、「debootstrapをインストールするが良いか」のメッセージとパスワード要求。パスワードを入力するとインストールが行われた。 debootstrapとはubuntuが元にしているdebianというディストリビューションが持つプログラムであり、滅菌環境を作り出すことができる。 debianの特徴としてパッケージ管理システムがある。パッケージにはプログラムがバイナリの状態で含まれ、ソースコードは付属しない。であるが、GPLであるためビルドは行えるようにソースコードは配布されており、簡単にソースからのビルドが行える。ソースに変更を施したビルドも簡単に行える。 このパッケージのビルドする環境というものは、必要とするライブラリのインストールも必要とする。例えばlibzなどだ。時には自身がインストールしているライブラリとは別のライブラリを必要とする環境へのパッケージを製作したい場合がある。こうしたときは自身のライブラリをアンインストールして、開発に必要なライブラリをインストールする必要があり、不具合が生じる可能性もある。またライブラリ同士が干渉を起こしてライブラリパッケージをインストールできない場合も存在する。 こうした環境の破綻を防ぐために、仮想の環境を作り出すことを目的としたのがdebootstrapだ。 debootstrapは、あるディレクトリにあるディストリビューション、例えばdebianであれば、testやunstableなどのバージョンを構成することが出来る。手法はパッケージ管理システムと同様に、必要とするパッケージのダウンロードと展開であり、これによって作り出された環境は余分なものを持たない、滅菌環境となる。正式な配布パッケージでは、この滅菌環境下において、必要ライブラリパッケージのダウンロードおよびビルドを含んだ一連の動作に成功することが必要となる。この滅菌環境を利用するにはchrootというchange root/の意味を持つコマンドを利用する。 debootstrapは取得するレポジトリを選択することができる。そのため、Chrome OSの開発レポジトリからパッケージを取得して、ビルド環境を整えているのだろうと予想する。debootstrapを利用して、誰でも環境を汚さずにビルドできるものを用意するあたりGoogleらしいと思わされる。こうした仕事は、おそらくは、簡単にビルド(変更)できる環境であるかどうかによって、練度が違ってくるのだろう。 ということで、debootstrapが終わったようなのでここまで。

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Chrome OSに見るWeb OSとその先

3,4年前からWeb上で全てのアプリケーションが動作するのでWindowsなどのOSはブラウザが起動する簡単なもので良く、サーバーを初めとした集中管理型のネットワーク構成になる、という話が夢を持って語られていた。これはGoogleがWeb上でオフィススイートであるWritlyを買収してGoogle Docsとして公開する前後で語られていた妄想だ。 過去にWebOSとして鳴り物入りで公開されたstartforceなどは継続はしているようだが、華々しい話などは聞かなくなった。startforceはJavascriptのAjax技術(今やAjaxという呼称さえ死語なのかもしれないが)を用いて、Windowsライクなデスクトップをブラウザ上に表現するプラットフォームであり、その上で動くアプリケーションを作成すればあたかもWindowsデスクトップをブラウザ上で再現できるという筋の表現技術であった。現時点でstartforceがそこまで普及しなかった原因を考えるに、誰もWebOSに(Windowsライクなスタートメニューを含む)Windowsデスクトップであることを望まなかったことに一因がある。そもそもの話をするとWeb上でOSという概念が必要なのだろうか。 よくよく考えてみると、望まれているのはブラウザを起動した後の環境ではなく、ブラウザを起動するための環境である。現状ではブラウザを起動するための準備としてWindowsやMacなどのOSのインストールか、もしくはKnoppixやUbuntuなどのLiveCD、LiveUSBなどの用意が必要である。そして、これらのOSの起動は遅く少なくとも30秒から1分は必要とする。 そうした環境でも、なお、ネットブック、ネットトップと呼ばれるインターネットの使用のみを意識した製品は良く売れている。これらの製品が売れるということは、現状のインターネットに接続できるだけでも十分であるということの証左なのではないだろうか。 このような様子でもGoogleは満足ではなく、Chromeというブラウザの開発、そしてそれを動作させるOSの開発を始めた。Google Chrome OSのデモを見てきたを初めとしていくつかの記事がニュースに上がっている。  同氏はまた、Chrome OSにおけるGoogleの目標がスピード、シンプルさ、セキュリティであることも語った。Chrome OSを「非常に高速」にしたいとし、「電源ボタンを押したらテレビのように起動するようにしたい。電源を入れたらすぐにWebにアクセスしてアプリケーションを使えるようになるべきだ」と話した。 この部分を考えるに、Googleとしては「早い、うまい、安い」OSを世界に提供することで、よりインターネットと人との距離を縮め、自社の検索サービスの利用者を増やし、収益を上げる戦略なのだろう。 「Chrome OS搭載PCは7秒足らずで起動」とGoogleとある。Windows7では起動スピードが大きく評価された(?)ように、世界中の人々は電源OFF状態からの起動速度に関心があるようだ。それを分かっていて宣伝しているようだ。またChrome OSのログインは(まだ良く調べていないが)gmailアカウントのIDパスで行うようだ。つまり、ChromeOSへのログインはgmailのアカウントを持っていないと出来ないために、Googleそのもののサービスの利用を前提とする。このことからも戦略的であるように見える。 世界にデータセンターの数はGoogle, Amazonを含めて5つ程度しか要らない、という議論がある。Web上でほとんどのサービスができることによって、このような、集約されたデータセンターに接続するだけで仕事や趣味が完結するという意見からだ。データセンターは集約されることで、いくつかのメリットがある。 多くの人で共有するので、無駄が少なく、1人あたりのコストが安くなる データセンターとして大量に準備することで、効率のよい状態のものを大量購入で安く準備できる 人から人へのデータの移動が、近距離に行われる、もしくは遠距離のデータセンター間になることが確定するため、高速なデータ転送が可能になる それに対してデメリットは、 データセンターに近い側の回線がパンクしたらアウト データセンターがデータを持っている事実が怖い アクセスラインが光以上じゃないと、ゲーム的な応答速度を要求するものは難しい な感じだろうか。最近のニュースでは、ブロードバンド契約、光が50%超え 「最速」 動画需要増追い風となっており、もはや光より遅い回線の所持者は少数派になっている。今まで回線速度が遅いから云々の言い訳はそろそろできなくなりつつあり、様々なサービス、技術が生まれそうな素地が整いつつあるように思える。 明確に口にすることは出来ないが、思うに、今のインターネット技術は回線で出来る性能、能力、そして常時接続である利点を最大限に引き出していない。そして光ブロードバンドの応答、帯域が来ようとも、そのポテンシャルを引き出していないように思える。この答えがWebOSにあるかといえば、そう思えない。しかしながら、ChromeOSは良い筋をしており、その入り口部分になる部品だとは思う。 で、結論として何が言いたいのかというと、価格.com限定キャンペーン経由で光プロバイダに入ろうとすると48,000円キャッシュバックだということ。11月末まで8日なので、光ブロードバンドに接続していない諸君は急ぐべきだ。 またNTTの200Mbpsサービスは実はNGNだということだ。でも実はKDDIの1Gbpsに負けるときもあるので、迷うよね、と思っていたら、未だに光oneが来ねぇ、どうなってんだコンチキショー!!!もうNTTでいいかな、と思い始めていて、未だにADSLで書いているのですよ、この文章は。もうADSLで十分だよね、今の環境だとね。文章しか書かないとね。

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日本国歌は広がり、また収束する

日本国歌の歌詞についてはともかく、演奏される場合、楽曲として、始めの2小節と終わりの1小節は同音、ユニゾンで演奏されることが多い。多いというか、ほとんどの場合で伴奏は同音である。同音に始まり、和音に広がり、また同音に収束する様を聴くと、その楽曲に込められた様々な意味の想像を掻き立てられる。例えば、国民は1つから広がり、また1つになる、という意味のように。 調べてみたところ、作曲時点で同音の伴奏を付けていたらしい。 国歌になった君が代では、以下のように述べている。  「君が代伴奏譜」には、初めの二小節と終わりの一小節半に和音がなく、歌と同じ旋律をユニゾン(同音)で演奏している。そのため、以前から「非音楽的だ」「恥辱的な国歌だ」と異義を唱える音楽家が多かった。中には、日本式和声を付けるべきだとして不思議な和音の自作譜を発表する者もいた。「君が代伴奏譜」がなぜ同音で書かれたか。元宮内省雅楽部長の阿部季功氏によると、編曲者エッケルトが「ここに複雑な音を入れることは、声は和しても何となく面白くない。日本の国体にあわぬような気がする。それゆえキミガヨにはわざと和声をつけぬことにした。最初につけぬから結びにもつけぬ方がよろしい」と意図的に和音を入れなかったのだと言う。 編曲者であるエッケルトの仕事だったらしい。  このような「君が代」の音楽的批判の背景には、明治から昭和の初めにかけて、知識人たちの間に蔓延していた盲信的な西洋崇拝思想がある。最近では、このような「西洋カブレ」はあまり見かけなくなったが、相変わらず、能や文楽や歌舞伎より、シンフォニーやオペラの方が遥かに優れたものだと考える頑迷な思考の持ち主が消えたわけではない。 西洋音楽と日本伝統音楽をシステムの完成度で比較したとき、優劣は明らかである。西洋では「音」を「理論」としたが、日本では「音」を「感性」でしかとらえていないからだ。したがって、「作品・音楽理論・楽器・演奏法・編成法・教育法」のどれをとっても見事に組織されている西洋音楽と、個人的な体験を積み重ねて、それを口移ししている日本伝統音楽の間には、歴然とした差がある。 確かに、西洋の様を見ると、全て和音にしてしまいそうだ。そこをあえて、エッケルトは同音にしたあたり、非凡である。 ちなみにwikipediaの君が代の項によると、 1903年(明治36年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した[11]。 らしい。 また国歌として11小節で最短という、俳句、和歌に見られる圧縮を行っているのも興味深い。

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