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メタ情報
月別アーカイブ: 7月 2009
本質と表面上の事柄とマニュアルとパソコン雑誌
例えばメモリを増やしたりHDDを速いものにしたり、CPUをメニーコアにしたり、起動するアプリケーションの数を制限したりなど小手先の手法はいくつかある。これらの共通点をくくると、パソコンの動作を早くしたいという要求が利用者にあることが分かる。この共通化されている要求を捉えてPCを速くする為にはどうしたらよいかという特集が雑誌で組まれることが多い。 しかし、真の要求はどこにあるのかを追求するならば、PCを速くすることが真の解決方法なのか?なぜ速いことを望むのか?という点にまで気を回すことになる。 利用者は漠然としたパソコン利用時点において、時にアプリケーションの動作の速度に不満を感じ、もっと早く動作を行いたいと思う。もしくはより早いパソコンを利用している友人に対する嫉妬心からもっと速くしたいという意欲を持つのかもしれない。そうした意欲は幻想なのかもしれない。 もっと上位の概念にさかのぼれば、利用者はパソコンの利用において、既存のアプリケーションのさらなる高速動作を望むのか、アプリケーションのより詳しい利用方法を知りたいのか、他にやってみたいアプリケーションがあるのか、自分の思いつかないアプリケーションを提案してほしいのか、という様々な要求にあたる。パソコンを高速動作させたいという要求は”既存のアプリケーションのさらなる高速動作を望む”場合の下位の解決方法であり、別の下位の解決方法としてはアプリケーション自体を高速なものにするというものもある。 さらに上位にさかのぼれば、パソコンが本当に生活に必要かどうかの問いを行うことになる。そうしたとき、パソコンの存在は目的のための手段となる。パソコンが目的ではなくなる。 その業界に存在することで、その物事を前提とする考え方をしてしまうことが多い。その考え方は正しいし、効率的だ。なぜなら、他の検討項目を考えてしまえば、自分の提供するものの価値がなくなってしまうかもしれない、価値がないことに気がついてしまうかもしれないからだ。それを発端として危機意識が薄れていく。ブランドとマニュアルさえあればどうにかなると思えてしまう。 マニュアルとは、表面上の事柄をあつめた教科書であり、通常、本質のようなものが書いてあっても理解はしにくい。例えば数学の教科書に公式が載っているが、練習問題なしに公式の真の意味を理解できるのかと問われれば難しい。その公式自体が幾多の練習問題の上に成り立っているのだから、理論だけを見て理解できているのだすれば、その人の人生経験が豊かで既に経験済みであるとしか言いようがない。 人が働くということは、ほとんどの場合、顧客が存在するということであり、サービス享受者である顧客の立場に立った考え方をしなければならない、ということは口をすっぱくして100万回くらい言われているだろうが、そのような本質を100回云われようが本質のみによる理解は難しいのだろうと思う。重要なことは、練習問題を解いているうちに公式を思い出すというプロセスなのだということ。そして練習問題とは、普段何気なく見ている風景にこそ存在しており、特別なものではないということ。 よって、どちらにせよ普段から本質をすえて物事を見なければならず、100万回くらい云われないと普段から意識して気づきの状態になれないのかもしれない。 ということを、パソコン雑誌を本屋で見ながら、パソコン利用者は何に不満を感じているのだろう、なぜパソコン雑誌というジャンルが存在しているのだろう、と疑問に思ったりした。パソコンを利用して目的を達するというスタンスというよりも、パソコンを使って何をやろうという楽しみ方のスタンスの方が、一般には多いのかもしれない。パソコン雑誌の本質は何なのだろうか。
x264の64ビットコンパイル
ひさしぶりにx264のコンパイルをやろうとして、途中で「32ビットと64ビットのオブジェクトはくっつけらんねーよ!」とエラーされる。commonの中のx86/は64ビットでコンパイルされるのだが、その他が32ビットコンパイルされるのが原因らしい。 無駄に64ビットOSを選択しなければよかった・・・、と思いつつ対処。 32ビットオブジェクトに対して-m64をつけてコンパイル。 /usr/include/gnu/stubs.h:9:27: error: gnu/stubs-64.h: No such file or directory と、云われ、 sudo aptitude install libc6-dev-amd64 して大丈夫かな、と。
デジタルサイネージがWiMAXで活気付いてきた点について
無線LANについて自分が魅力に感じたのは、3Gよりも安価に広域ネットワークを構築できる可能性が、心を躍らせたからだ。3Gの高価な基地局、端末がなくとも、無線LANのホップで上手くいかせることができるようになる素晴らしさに心が躍った。その背景には、携帯電話キャリアの力がなくとも個々の力でネットワークを構築することのできるP2P的な要素に惹かれていたのかもしれない。 無線LANのマルチホップに関して、その利用方法のいくつかに、測定・広告などがある。これらは、どれも3G回線が高価だからという理由が大きく関わる案だ。つまり3Gのような公衆回線が安くなってしまえば意味のない話になってしまうかもしれない。3Gにはできないからという理由の無線LANの利用方法では地下・建物内の位置測定、そして普遍的なインターフェースとしてだ。 屋内的にはそのようなものとして、野外のネットワークの動きに目を向けると、3Gに比べてWiMAXの動きが激しい。 バンテン、モバイルWiMAXを利用したデジタルサイネージサービスを提供開始 凸版印刷、「UQ WiMAX」を利用したデジタルサイネージ端末を開発 NECのデジタルサイネージソリューション これらのニュースが伝えている通り、デジタルサイネージ、つまりデジタル技術を用いた広告技術を各社が開発している。デジタルサイネージの印象としては薄型ディスプレイと広域無線ネットワークの融合であり、時間・顧客の年代、趣向・地域にあわせて広告を変えていくことが可能になる。インターネット上の広告が地上に出てきたような印象である。もう1歩進めていくと、歩いている人のBluetoothのMACアドレス、無線LANのMACアドレスから、趣向などのデータを集計、各地域のどの場所を歩いているのかの特性判断を行い、あわせた広告を出すことも可能だ。現実の世界とネットの世界の個人情報の紐付けの部分も場合によっては可能になるだろう。 このようなサービスを展開するにあたり、以前は公衆無線LANからマルチホップすることが妥当だと考えていたが、イーモバイルの3.5G、UQ WiMAXの出現によって、置き換わるだろうと予想していた。どの段階かは読めていなかったが、イーモバイルのときよりもUQ WiMAXのときの方がデジタルサイネージが盛り上がっている感がある。 wikipediaを参照するとデジタルサイネージの特徴は以下の通りだ。 顧客に合わせた広告(ネットワーク) 通信ネットワークを使ってリアルタイムな操作(ネットワーク) 印刷物の取替えの手間がかからない(ディスプレイ) 動画が表示できるために、視聴者の注目度が高まる(ディスプレイ) 複数の広告主に対して、広告表示枠を秒単位で切り売り出来る(ネットワーク) 分類すると、ディスプレイ(と周辺機器)とネットワークによる広告の革新がテーマであるように思える。ネットワークが存在しなくてもデジタル化することで広告物の入れ替えや動画の表示には対応できる。今回のサイネージでは、ネットワークを利用することによる顧客に合わせた広告・リアルタイム性・広告の切り売りがテーマになってきそうだ。 それを踏まえたうえで各社のサービスで何を重視しているのかを見る。 凸版印刷は、小型・FeliCaリーダライタによるクーポン・タッチパネルがポイントで技術を押し出している感がある。バンテンはHSDPA時代から行っている信頼・巨大スクリーンへの対応などで細かい運用の便利さを押し出している感がある。NECは、NGN・HSDPA・WiMAX全てに手を出している点を長所とし、場所を問わずに最適なネットワークを利用できる点と、特に広告では分かりにくい評価測定にスポットを当てている感がある。ここまで見たところ、各社の強みを生かしたサイネージサービスとしては間違っていない。サイネージに適したものを有する企業が残っていくだろう。 まとめとして、街でデジタルサイネージを見かけたら、「メーカー」「通信方式(有線・無線・NGN・LTE・WiMAX・無線LANかどうか)」「複数の広告主がついているかどうか」「どの程度の画面サイズか」「動画広告は効果的かどうか」「評価測定はどのように行っているか」「時間・場所・顧客層に合わせた広告が行えているかどうか」「広告に興味を持って足を止めている人がいるかどうか」などに着目すると今後の勉強になりそうだ。
世の中にはビデオデッキは1台しか必要ない
という釣りタイトルが浮かんだので書いてみた。 家の中に何台ものHDDレコーダが転がっており、そのうちのいくつかはアナログ放送向けであり、デジタル放送向けは1台しか存在しない。これらのネットワーク機能は脆弱であり、家庭内LAN配信でさえストレスを感じるつくりになっており、そのためネットワーク利用はしていない。 個人的に最もやりやすい方法がLinuxサーバで録画するシステムを構築することだが、持っていたチューナーカードもどこかにいってしまったし、Friioで録画するのも気が引ける。最近はLinuxで録画が簡単にできるソフトウェアができているようだが、たいして興味もない。興味がないのは、動画共有サイトで見てしまえばいいやと思っているからだろうなのか。 ネットワークの帯域幅が十分に大きくなりYoutubeのような映像配信が上手くいくこの時代、ビデオデッキは各世帯に必要はない。動画共有サイトの仕組みのように動画はネットワーク配信できるし、そのようなサイトが共同受信してしまえばいいからだ。そのような仕組みができない理由を考えると、地方局だったり、家電メーカーだったり、電波免許制だったりの顔がちらちら思い浮かぶ。 この手の構造を破壊するのは、完全にネット上の放送局を作り、上手く放映していくことが上策だが、Gyaoはソフトバンクに身売りをしているし、上手くいくような事業ではないのかもしれない。結論としては日本とのステークホルダーを持たず資金源を持つ組織が日本に入り込んでくることが上策で、米国で急成長中の「Hulu」上陸!?日本でテレビ番組の無料配信が進まない理由という記事にあるとおり、Huluが日本に入って動画共有サイトのみならず、無料ネット放送も米国主導になっていくという流れが素直な道なのかもしれない。(あ、第2日本放送のことをすっかり忘れていた!) 有料ネット放送ではひかりTVが既存の衛星を食っているようないないような感覚を出しているが、将来、割を食うのはレンタルサービス系だろうと思える。 コンテンツの力にそれほど頼らずに外部とのコミュニケーションを組み合わせることで新しい面白さを生み出そうという流れで云えば、テレビを通したコミュニケーション「おしゃべりテレビ」という記事を書いてこのサイトのdiff,shareの意味を語ったりした。ニコニコ動画もそのサービスを提供していくようだ。テレビや野球にコメントできる「ニコニコ実況」ベータ版に書かれている通り、自身が想像していたのは後者のニコニコ動画版であり、PC上のテレビの枠上に配置するものだった。 当時はLinuxサーバなどによる家庭内TV配信が2009年頃には実用化されており、家庭内PCで番組を見ることが普通という世の中になっているという読みであり、それにコミュニケーションをつけるのであれば著作権等の問題はないだろうということだった。しかし現在は家庭内TV配信など普及はしておらず、むしろそちらの考察を続けるべきであったかと考えたりもしている。特にDLNAの元気がないように思えるのだが、Windows 7にDLNAが標準搭載されるので状況は変わるかもしれない。 むしろ最近の自分の考えでは、「テレビを積極的メディアにする」よりは「PCを受動的メディアにする」ことの方が面白いような直感を感じている。これについてはテレビの未来、画面エンターテイメントの未来についてで書いた。 今でもテレビを観ている層に着目をするのではなく、何か新しくて面白いものを常に探していて壁を感じず抵抗がない若い層に対してPCとそれに付随するコンテンツが面白いということを伝えることの方が前向きだしきっと楽しい。ニコニコ動画が動画の見方に新しく提案をしたように、音楽の聞き方、演奏の仕方、絵の見方・書き方、漫画の見方・書き方、全てにおいて新しい手法の平原は広がっており、提案され尽くされなどしていない。そのような新しい手法に入ってくる、賛同するのはいつだって若者だ。今まで誰を見ていたのだという気がする。 ということで、結論としては、なんで世帯にビデオデッキ置かなきゃならないんだ、誰かが共同受信してネットワークでうちまで配信してくれる仕組みがどうして作れないんだ、法律が悪いのか?ステークホルダーが悪いのか?ということを今日、思った。
ネットが生んだ首長と選挙ポータルの小ネタ
Youtubeが生んだ大統領ということで、YouTube 時代の大統領選挙 ( 米国在住マーケターが見た、700日のオバマキャンペーン・ドキュメント)という本が出ていたりする。この本は買っていないが。 Youtubeが生んだということは、すなわちインターネットが生んだということになる。つまりインターネットがそれだけの伝達力を持っているという証左であろう。 実は日本の現在の首相も、インターネットが生んだと思っている。マスコミは秋葉原で大人気と報道したが、その火をつけたのはインターネット上の某巨大掲示板の中の流れだったように感じる。 この2人の出自はインターネットであるとすれば、選挙に関してインターネットは絶大な力を持っていると考えられる。選挙を左右するようなポータルを持つことが大きな意味を持ってくるだろうし、ブログによる風評も影響してくるだろう。 同じ共通点を持つ米国と日本の首長の扱われ方の違いが、なぜ、ここまで大きいのか考えたりする。考えたりするが、米国のマスコミ状況を知らないので、結局よく分からない。動画を通して自分の主張を行い理解を得た首長と、匿名の支持を集めて匿名に踊らされた秋葉原人に支えられた首長では、脆弱性に違いが出るのだろうか。 この手の選挙向けネタとして、ネタの”選挙ポータルでっちあげ”がある。これ系のサイトにはユーザがログインして仮想投票できる機能を追加しておく。2党の僅差の戦いになると予想ができれば、「某A党:某B党=6:4で大勝利」「某A党:某B党=4:6で大勝利」のシナリオを描くサイトを2通り作っておき、選挙が終わってから、ほら、当たったよ、と。 予想が当たったほうのサイトは、「ネットが選挙に影響した」という偽者の証拠になるので、選挙時にまた広告が入る。当たらなかった方はなかったことにする。これならほとんど当たるし、勝った方の党から資金流入が見込めるのでエグい。次からは本当に工作戦になるので4年間だけおいしい状態で後は野となれ山となれ。 # というか、この手のことを誰かが策ってそうな気がする。